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【エジプト・モルシ元大統領に対し死刑判決】芋ずる式にその経緯をたどる [ニュース【海外】]

エジプトのムハンマド・モルシ元大統領が、国内の裁判所において4年前の刑務所からの脱獄に関与した罪で「死刑に相当する」との判断を下されました。


モルシ元大統領は、イスラム組織「ムスリム同胞団」の出身で、中東の民主化運動「アラブの春」で、ムバラク政権が崩壊したあと、初めて民主的な選挙によって大統領に選ばれましたが、一昨年7月、軍によるクーデターで大統領職を解任されています。


首都カイロで16日、モルシ元大統領やムスリム同胞団の幹部らに対する裁判が開かれ、裁判所は、モルシ元大統領が2011年1月、当時収監されていた北部の刑務所からの脱獄に関与したとして、死刑に相当する」との判断を下しました。


ムバラク政権に対する反政府デモが広がった際、支持者らに刑務所を襲撃させ脱獄したとの主張を受け、裁判所はムスリム同胞団の幹部を含む関係者100人余りに対しても同様の判断を下しています。


宗教上の理由により正式な判決が言い渡されるのは来月2日の予定です。


モルシ元大統領は、先月、大統領在任中の2012年12月にデモ隊への暴力に関わった罪で禁錮20年の判決を受けています。


裁判所によるこの一連の判断に対し人権団体は、「公正な裁判ではない」とし非難しており、批判は今後ますます強まる見込みです。



Q、アラブの春って何?



チュニジアの青年の焼身自殺事件により反政府デモが国内全土に拡大し『ジャスミン革命』が発展し、結果としてベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊した事件です。


ジャスミンがチュニジアを代表する花であることから、このような名前が命名されました。


チュニジアは2010年の経済成長率が3.8%で、決して経済状況が悪いわけではなかったですが、失業率は14%、若者層に限れば30%近いという高水準だったので、政府に対する不満が募っていました。


加えて、1987年に無血クーデターによって政権を獲得したベン=アリーはイスラム主義組織に対し抑圧を行い、ある程度の経済成長は果たしましたが、一族による利権の独占が始まり、23年にも及ぶ長期政権の腐敗に国民の不満が募っていたのです。


革命ののろしとなったのが12月、中部の都市シディ・ブジドで起こった事件です。


12月17日の朝、露天商の青年モハメドが果物や野菜を街頭で売り始めましたが、販売の許可がないとして地方役人に野菜と秤を没収され、さらに女性役員から暴行と侮辱を受けました。


彼は役所に没収された秤の返還を求めましたが、引き換えに賄賂を要求されたのです。


これに抗議するため、同日午前11時30分、県庁舎前で自分と商品を積んだカートにガソリンをかけて火をつけ、焼身自殺を図ったのです。


その場に駆け付けた従兄弟のアリ・ブアジジが、事件直後の現場の様子を携帯電話で撮影し、フェイスブックへ映像を投稿したことで全国に知れ渡りました。


イスラム教は自殺することを禁じている上、火葬の習慣もないので「焼身自殺」が人々に与える衝撃はさぞ大きかったでしょう。


こうしてこの事件が、ブアジジと同じ若年層を中心に、職の権利、発言の自由化、腐敗した政権の撤退を求めストライキやデモを起こす引き金となったのです。


この民主化運動は周辺のアラブ諸国へも広がり、各国で長期独裁政権に対する国民の不満と結びつき、数々の政変や政治改革を引き起こしました。


『アラブの春』とは、その前例にない大規模な反政府デモがアラブ諸国で勃発したことによる騒乱の総称です。


そうして民主化に成功したエジプトですが、2012年に入ると国内の対立や衝突が生まれ始めました。


また、遅れて反政府デモが決起されたシリアでは泥沼の内戦状態に突入。国内のスンナ派とシーア派の対立やアルカイダ系の介入などにより戦闘は激化し、周辺国にも影響を及す恐れが懸念されるようになったのです。


2014年には、元アルカイダ系のイスラム過激派組織「ISIL」がシリアとイラクの国境をまたぎ台頭するなど、地域情勢は深刻な事態に陥っています。



Q、ムスリム同胞団ってどんな組織?



1920年代のエジプトは、イギリスの事実上の植民地とて統治下にあり、1928年、西洋からの独立とイスラム文化の復興を掲げてハサン・アル=バンナーによってエジプトで結成されたのが『ムスリム同胞団』です。


この組織の最大の特徴は、大衆を相手にさまざまな社会活動を展開した点にあり、モスクの建設や運営などの宗教的な活動のみならず、病院経営や貧困家庭の支援など草の根的な社会慈善活動をはば広く実践したことにあります。


1940年代後半には同国最大のイスラム主義運動に成長。周辺国のヨルダンやパレスチナなどへ進出が始まり、現在ではアラブ諸国を中心に広くイスラム圏を中心に支部や関係組織を展開しています。


過激な思想の排除に努めてきた同胞団はイスラム主義組織の中では比較的「穏健派」とされていましたが、「アラブの春」が起こる以前の中東諸国においては、政治における民主化を求めるムスリム同胞団は、非民主的な政権側にとって好ましい存在ではありませんでした。


それゆえ各国の政権はムスリム同胞団に対し、団員の逮捕や資産凍結などの抑圧的な姿勢を採ってきました。


2005年11月のエジプト人民議会選挙の際、ムスリム同胞団は無所属として出馬しましたが、中東民主化を推進してきたアメリカの追い風により政権により弾圧されることはありませんでした。


そのおかげでムスリム同胞団系勢力は、民選の444議席88議席を獲得して政界進出したのです。



2011年の革命後、ムスリム同胞団は政党「自由公正党」を結成します。


党首に就任したのが後に『死刑』の判断を下されるムハンマド・モルシ氏です。


自由公正党は、2011年から2012年にかけて行われた人民議会選挙で躍進し、2012年5月から6月にかけて行われた大統領選挙ではモルシが当選し、2012年8月にヒシャーム・カンディール内閣が発足しました。


Q、そのモルシ大統領がなぜ死刑なの?


モルシ政権が発足したわずか1年後、エジプト軍により起こされたクーデターによりモルシは大統領権限を失い、エジプト軍が事実上政権を掌握されてしまいました。


モルシ政権下において様々な要因により経済状況が悪化し、財政再建に踏み切れず、打ち出した政策も「独裁的」と非難とした国民の不満や政権批判を権力で押しつぶそうとしたことに対し、当時の国防大臣アブドルファッターフ・アッ=シーシーが反発、軍部によるクーデターでモルシは政権を解任され、拘束されました。


そうしてエジプト初の民主的な政権は1年足らずで失脚し、同胞団内の幹部は次々と逮捕・起訴されました。


後の2013年12月25日、前日のマンスーラ警察本部における爆弾テロの発生を受け、ムスリム同胞団はエジプト暫定政権から「テロ組織」に指定されましたが、ムスリム同胞団との関連は不明です。


エジプト軍最高評議会議長アブドルファッターフ・アッ=シーシーは「イスラム過激派によるテロと同胞団はつながっている。」と発言し、ムスリム同胞団が国内に存在することは許されないとの姿勢を表明しています。



2014年6月3日、大統領となったシーシーは 権力を掌握、自由公正党を解散させ、資産を没収するに至りました。


後の2015年4月21日、首都カイロの刑事裁判所は、2012年の反政権デモ隊への「殺害を扇動した罪」の被疑で、モルシに禁錮20年の判決を言い渡しました。


さらに今月16日、刑事裁判所は、2011年の反政府デモに際し、支持者らに刑務所を襲撃して囚人を脱獄させた被疑で、ムルシー並びに105人の関係者たちを「死刑に値する」と判断したのです。


エジプトでは、死刑判決は最高イスラム法官の意見を聞く必要があるため、現段階では「判断」にすぎないのですが、式判決は、6月2日を予定しています。


これが今回のニュースの一連の流れになります。

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